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なぜ日本にモータースポーツは根付かないのか? 不人気の原因は、日本人のスポーツ観にあった。

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NASCARのようなレースは、「車を観賞する」日本では成功しない。 2015年は日本のモータースポーツにとって節目の年となりました。 ホンダのF1復帰、日産のル・マン復帰(と撤退)、トヨタのWRC復帰発表と、リーマン・ショック以降停滞していた日本のモータースポーツ界に、大きな動きが立て続けに起こりました。 国内のモータースポーツに目を向けると、5月のスーパーGT第2戦富士に9万人以上の観客が詰めかけるなど、一見好調なように見えます。 しかしシリーズ全体の観客動員数は40万人強で、2012年のレベルに戻ってしまいました。 タイでの開催も観客動員が半減し、DTMとの交流戦も先延ばしになるなど、 国際化路線にもほころびが見え始めています。 スーパーフォーミュラはドライバーのレベルこそ高くなっているものの、それが観客動員に結びついていません。 オーバーテイクの少なさや、シャシーがワンメイクであることなどがその理由として考えられます。 競技レベルの向上がシリーズの経済的な発展に直接結びつかないという、スポーツビジネスの難しさに直面しているのです。 モータースポーツを観戦する文化が、なぜ日本には根付かないのか? 筆者なりに答えを探ってみました。 sponsored link Related Posts 日本人が見ているのはモーター「スポーツ」か? 日本のモータースポーツファンの大半は、実は「モータースポーツ」を見ていません。 「モーター」の部分だけ、つまり車だけを見ています。 「スポーツ」の部分に興味を持つ人は少ないです。 そのことは毎年開催されているモータースポーツイベントの数々を見ればわかります。 たとえばお台場で開催されている「モータースポーツジャパン」というイベントがありますが、あれの何が「モータースポーツ」なのか、筆者にはわかりません。 あれはレーシングカーを見せているだけで、スポーツの要素は何一つないのです。 せめてグッドウッドのように、ちょっとしたタイムアタックくらいやれば良いのにと思います。 浅間ヒルクライムも、スロー走行で山道をドライブするだけのイベントになってしまっています。 全開で走りタイムアタックしないなら、ヒルクライムと名付けるべきではありません。 ヒルクライム競技そのものが誤解されてしまいます。 しかし上記のような「レーシングカー見せびらかしイベント」に需要があることからもわかるように、 日本にもレーシングカーが走るのを眺める「観賞文化」は存在します。 けれどスポーツの部分は無視されるので、サーキットに足を運ぶ人の数は全く増えていないわけです。 なぜモーター「スポーツ」は無視されるのか モータースポーツ=マシンとメーカーの対決という刷り込み 日本人のモータースポーツ原体験は、4輪ならば第1回日本グランプリでしょう。 このイベントが2日間で20万人以上もの観客動員を記録した最大の理由は、自動車レースというイベント自体が珍しかったからだそうですが、第2回のスカイラインGT vs ポルシェ904、第3回のR380 vs ポルシェ906という構図からもわかるように、このころから既にマシンやメーカー対決がレースの焦点でした。 富士で芽吹いた「モータースポーツ」 70年に日産とトヨタが撤退したため、日本グランプリは中止を余儀なくされました。 JAFはフォーミュラカーを新たな柱とする意向でしたが人気が出ず、71年から始まった富士グランチャンピオンレース(以下、富士GC)が、国内のモータースポーツを牽引するようになりました。 ムーンクラフトが改良を施したマーチ74S。 ドライバーは高原敬武。 画像の出典: 富士GCはプライベーター主体のレースで、レースの主役はマシンやメーカーではなくドライバーでした。 エンジニアやデザイナーはオリジナルマシンを持ちこみ、市販のレースエンジンを載せ、ドライバーはスポンサーマネーと賞金目当てに運転するという、理想的な「スポーツ」環境でした。 「命がけだから凄い」という評価のされ方 しかしそれが世間一般に「スポーツ」として伝わることはありませんでした。 死亡事故の多発で、富士GCは「スポーツ」ではなく、ローマ時代の戦車競走の如きものだと世間に誤解されたのだと思います。 日本においてカラーテレビの普及率が白黒テレビのそれを上回ったのは、1973年ごろです。 富士GCでの大事故の数々は、カラーテレビで生中継されていました。 死に対する忌避感や、公道暴走行為との関連性から、モータースポーツを野蛮なものと見なす人々は今も存在します。 しかしそれとは正反対に、 命がけだから凄いと認識する人たちもいます。 恐怖に耐える姿に感動する「 忍耐賛美派」です。 日本ではこの「 忍耐賛美派」と「 観賞派」、そして次に説明する「 日本代表応援団」たちが、レースファンを形成してきました。 しかしそれゆえにスポーツたる部分が何なのかは、なおざりにされたまま今に至ることとなったのです。 世界vs日本という構図の功罪 ヒーローたちの死と、技術とともに日進月歩で高速化していくマシンが織りなすサーキットの物語は、危うさをはらむがゆえに若者たちを強く惹きつけ、熱狂の渦を日本全国へと広げていきました。 その熱狂がクライマックスに達したのは、80年代後半から90年代初頭のいわゆるバブル期です。 F1、ル・マン、WRCと、世界の頂点で日本車が大活躍し、いずれのシリーズでもチャンピオンに輝きました。 戦いの構図は国内にも持ち込まれ、かつての日本グランプリ時代と同様、プライベーターのグループCポルシェと日系ワークス・チームとが、全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)でしのぎを削りました。 世界を相手に戦う日本人を応援することに喜びを感じる新しいファン層、すなわち「日本代表応援団」が開拓され、観客席は常に満員でした。 アドバン・アルファ962Cは、日本車の天敵だった。 画像の出典: ドライバーにもスポットライトが当たるようになりました。 日本人初のF1ドライバーである中嶋悟選手はもちろんのこと、マクラーレン・ホンダを駆るアイルトン・セナが国民的なヒーローとして歓迎され、F1ブームのころは頻繁に日本のテレビ番組やCMに登場していました。 頂点からの没落 しかしバブルが崩壊し、ホンダを始めとする日本企業がまるで潮が引くようにF1から撤退すると、世界vs日本という構図における優劣は逆転してしまいました。 F1界に残された唯一の日の丸である日本人ドライバーは、所属するチームやマシンの低調なパフォーマンスに苦しめられ、思うような成績を残せなかったためです。 日本人ドライバーが活躍できなかったことで、「結局モータースポーツは車次第」「ドライバーの力でどうにかなるものではない」という誤解を招いたことは否めません。 たしかにマシンは重要です。 しかしマシン性能だけで勝てるほど甘くはありません。 サッカーがFWの技術と才能だけでは勝てないのと同じく、モータースポーツもチーム全体のパフォーマンスが重要なスポーツなのです。 けれど 「頂点を極めた」と思い込んでいた日本のレースファン、とりわけ日本代表応援団たちは、負け続ける屈辱感に耐えられず、次第にF1から離れていきました。 とくに彼らは車よりもドライバーの方に肩入れしていました(セナファンはその典型)から、「結局車次第」という誤解の広まりは、彼らがモータースポーツ離れを起こすキッカケとなりました。 日本代表応援団は、スポーツに関する知識に乏しいです。 それはサッカー日本代表のサポーターを見てもわかると思います。 彼らは日本人が奇跡を起こす様を見たいのであって、スポーツを見たいのではないのです。 でも車は奇跡を起こしませんから、日本代表応援団は興味を失ったのです。 英雄の死 日本と馴染み深い2人、アイルトン・セナとローランド・ラッツェンバーガーの死は、F1ブームで興味を持ったライトなファン層に「 やはりモータースポーツは危険だ」という印象を強く与えました。 精神的なショックを受け、レースを見られなくなったという人もいると思います。 けれど「忍耐賛美派」は、英雄の死を悼むとともに、彼らの勇気を讃え、志半ばで倒れた者たちの意志を引き継ぐことを強く主張します。 ですがそのような考え方は、 「レースは危ない」と再認識したライトなファン層の意識と大きな隔たりを生み、日本のレースがマニア化していくキッカケを作ってしまいました。 日本におけるスポーツ概念 日本でスポーツというと、歯を食いしばって苦しみに耐えながら、華麗なテクニックを披露することのように捉えられています。 その日本的文脈においてモータースポーツを解釈すると、「死の恐怖に耐えながら」「華麗なドライビングテクニックを披露する」となるはずですが、 ドライビングにテクニックが必要なことを理解していない人の方が多い(レーサーなんて座ってるだけという認識は根強い)ため、「華麗なテクニック」を「高性能を発揮するテクノロジー」と読み替えたのではないでしょうか。 日本ではテクニックとテクノロジーの区別が曖昧ですしね。 するとレースファンの大半が「忍耐賛美派」と「観賞派」であることの説明が付きます。 「観賞派」が増えたのは、ドライビングテクニックに関する知識も無いし、それを可視化することも出来なかったため、見た目にわかりやすい違いを持つ車の方ばかりが注目されたためだと考えられます。 80年代後半から90年代前半は、「日本代表応援団」が加わり、モータースポーツは一大ムーブメントを呼び起こしました。 しかし バブル崩壊で元のマニアックな世界に戻ってしまいました。 スポーツとは何か? wikipediaから引用します。 スポーツ(英: sport)は、人間が考案した施設や技術、ルールに則って営まれる、遊戯・競争・肉体鍛錬の要素を含む身体や頭脳を使った行為。 日本においては身体を使ったものが主体の「フィジカルスポーツ」だけをスポーツとみなす考えが強いが、思考力や計算力といった頭脳を主体の「マインドスポーツ」も本来はスポーツに含まれている。 引用の定義に基づけば、モータースポーツはドライバーのみならず、エンジニアやメカニックもスポーツしていることになります。 しかしそのことが世間一般に認識されないのは、日本的なスポーツ概念の解釈もさることながら、 モータースポーツの運営側や参加しているチームが、自分たちが何をしているのかを伝えてこなかったことに原因があります。 そうなったのは、自動車メーカーの影響力が強かったためです。 モータースポーツの日本的理解と、その限界 自動車メーカーの強い関与が、参加者の努力や工夫を伝えることよりも、参加車両の宣伝を優先させる事態を招きました。 また、一般メディアはセンセーショナルな死亡事故ばかりを取り上げ、モータースポーツの危険性をただ煽るだけでした。 日本的なスポーツ概念の解釈と、自動車メーカーの思惑やメディアの報道姿勢が強固に結びついた結果、「レーシングカーのテクノロジーを観賞するもの」「命がけで走る人たちを応援するもの」というモータースポーツの見方が形成され、バブル期を除きそれが主流となっています。 それゆえに日本では、モータースポーツを「 観戦」する文化が根付かないのです。 フィジカルスポーツとしてのドライビングテクニックやピットワーク、マインドスポーツとしてのエンジニアの緻密な計算などは、自動車メーカーからだけでなくモータースポーツファンからも、さして認められてこなかったのです。 このようなガラパゴスなモータースポーツ解釈では、国際化はうまくいかないでしょう。 車を見せびらかすだけ、歯を食いしばって恐怖に耐えるだけで評価してくれるのは、日本のファンだけです。

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NASCARのようなレースは、「車を観賞する」日本では成功しない。 2015年は日本のモータースポーツにとって節目の年となりました。 ホンダのF1復帰、日産のル・マン復帰(と撤退)、トヨタのWRC復帰発表と、リーマン・ショック以降停滞していた日本のモータースポーツ界に、大きな動きが立て続けに起こりました。 国内のモータースポーツに目を向けると、5月のスーパーGT第2戦富士に9万人以上の観客が詰めかけるなど、一見好調なように見えます。 しかしシリーズ全体の観客動員数は40万人強で、2012年のレベルに戻ってしまいました。 タイでの開催も観客動員が半減し、DTMとの交流戦も先延ばしになるなど、 国際化路線にもほころびが見え始めています。 スーパーフォーミュラはドライバーのレベルこそ高くなっているものの、それが観客動員に結びついていません。 オーバーテイクの少なさや、シャシーがワンメイクであることなどがその理由として考えられます。 競技レベルの向上がシリーズの経済的な発展に直接結びつかないという、スポーツビジネスの難しさに直面しているのです。 モータースポーツを観戦する文化が、なぜ日本には根付かないのか? 筆者なりに答えを探ってみました。 sponsored link Related Posts 日本人が見ているのはモーター「スポーツ」か? 日本のモータースポーツファンの大半は、実は「モータースポーツ」を見ていません。 「モーター」の部分だけ、つまり車だけを見ています。 「スポーツ」の部分に興味を持つ人は少ないです。 そのことは毎年開催されているモータースポーツイベントの数々を見ればわかります。 たとえばお台場で開催されている「モータースポーツジャパン」というイベントがありますが、あれの何が「モータースポーツ」なのか、筆者にはわかりません。 あれはレーシングカーを見せているだけで、スポーツの要素は何一つないのです。 せめてグッドウッドのように、ちょっとしたタイムアタックくらいやれば良いのにと思います。 浅間ヒルクライムも、スロー走行で山道をドライブするだけのイベントになってしまっています。 全開で走りタイムアタックしないなら、ヒルクライムと名付けるべきではありません。 ヒルクライム競技そのものが誤解されてしまいます。 しかし上記のような「レーシングカー見せびらかしイベント」に需要があることからもわかるように、 日本にもレーシングカーが走るのを眺める「観賞文化」は存在します。 けれどスポーツの部分は無視されるので、サーキットに足を運ぶ人の数は全く増えていないわけです。 なぜモーター「スポーツ」は無視されるのか モータースポーツ=マシンとメーカーの対決という刷り込み 日本人のモータースポーツ原体験は、4輪ならば第1回日本グランプリでしょう。 このイベントが2日間で20万人以上もの観客動員を記録した最大の理由は、自動車レースというイベント自体が珍しかったからだそうですが、第2回のスカイラインGT vs ポルシェ904、第3回のR380 vs ポルシェ906という構図からもわかるように、このころから既にマシンやメーカー対決がレースの焦点でした。 富士で芽吹いた「モータースポーツ」 70年に日産とトヨタが撤退したため、日本グランプリは中止を余儀なくされました。 JAFはフォーミュラカーを新たな柱とする意向でしたが人気が出ず、71年から始まった富士グランチャンピオンレース(以下、富士GC)が、国内のモータースポーツを牽引するようになりました。 ムーンクラフトが改良を施したマーチ74S。 ドライバーは高原敬武。 画像の出典: 富士GCはプライベーター主体のレースで、レースの主役はマシンやメーカーではなくドライバーでした。 エンジニアやデザイナーはオリジナルマシンを持ちこみ、市販のレースエンジンを載せ、ドライバーはスポンサーマネーと賞金目当てに運転するという、理想的な「スポーツ」環境でした。 「命がけだから凄い」という評価のされ方 しかしそれが世間一般に「スポーツ」として伝わることはありませんでした。 死亡事故の多発で、富士GCは「スポーツ」ではなく、ローマ時代の戦車競走の如きものだと世間に誤解されたのだと思います。 日本においてカラーテレビの普及率が白黒テレビのそれを上回ったのは、1973年ごろです。 富士GCでの大事故の数々は、カラーテレビで生中継されていました。 死に対する忌避感や、公道暴走行為との関連性から、モータースポーツを野蛮なものと見なす人々は今も存在します。 しかしそれとは正反対に、 命がけだから凄いと認識する人たちもいます。 恐怖に耐える姿に感動する「 忍耐賛美派」です。 日本ではこの「 忍耐賛美派」と「 観賞派」、そして次に説明する「 日本代表応援団」たちが、レースファンを形成してきました。 しかしそれゆえにスポーツたる部分が何なのかは、なおざりにされたまま今に至ることとなったのです。 世界vs日本という構図の功罪 ヒーローたちの死と、技術とともに日進月歩で高速化していくマシンが織りなすサーキットの物語は、危うさをはらむがゆえに若者たちを強く惹きつけ、熱狂の渦を日本全国へと広げていきました。 その熱狂がクライマックスに達したのは、80年代後半から90年代初頭のいわゆるバブル期です。 F1、ル・マン、WRCと、世界の頂点で日本車が大活躍し、いずれのシリーズでもチャンピオンに輝きました。 戦いの構図は国内にも持ち込まれ、かつての日本グランプリ時代と同様、プライベーターのグループCポルシェと日系ワークス・チームとが、全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)でしのぎを削りました。 世界を相手に戦う日本人を応援することに喜びを感じる新しいファン層、すなわち「日本代表応援団」が開拓され、観客席は常に満員でした。 アドバン・アルファ962Cは、日本車の天敵だった。 画像の出典: ドライバーにもスポットライトが当たるようになりました。 日本人初のF1ドライバーである中嶋悟選手はもちろんのこと、マクラーレン・ホンダを駆るアイルトン・セナが国民的なヒーローとして歓迎され、F1ブームのころは頻繁に日本のテレビ番組やCMに登場していました。 頂点からの没落 しかしバブルが崩壊し、ホンダを始めとする日本企業がまるで潮が引くようにF1から撤退すると、世界vs日本という構図における優劣は逆転してしまいました。 F1界に残された唯一の日の丸である日本人ドライバーは、所属するチームやマシンの低調なパフォーマンスに苦しめられ、思うような成績を残せなかったためです。 日本人ドライバーが活躍できなかったことで、「結局モータースポーツは車次第」「ドライバーの力でどうにかなるものではない」という誤解を招いたことは否めません。 たしかにマシンは重要です。 しかしマシン性能だけで勝てるほど甘くはありません。 サッカーがFWの技術と才能だけでは勝てないのと同じく、モータースポーツもチーム全体のパフォーマンスが重要なスポーツなのです。 けれど 「頂点を極めた」と思い込んでいた日本のレースファン、とりわけ日本代表応援団たちは、負け続ける屈辱感に耐えられず、次第にF1から離れていきました。 とくに彼らは車よりもドライバーの方に肩入れしていました(セナファンはその典型)から、「結局車次第」という誤解の広まりは、彼らがモータースポーツ離れを起こすキッカケとなりました。 日本代表応援団は、スポーツに関する知識に乏しいです。 それはサッカー日本代表のサポーターを見てもわかると思います。 彼らは日本人が奇跡を起こす様を見たいのであって、スポーツを見たいのではないのです。 でも車は奇跡を起こしませんから、日本代表応援団は興味を失ったのです。 英雄の死 日本と馴染み深い2人、アイルトン・セナとローランド・ラッツェンバーガーの死は、F1ブームで興味を持ったライトなファン層に「 やはりモータースポーツは危険だ」という印象を強く与えました。 精神的なショックを受け、レースを見られなくなったという人もいると思います。 けれど「忍耐賛美派」は、英雄の死を悼むとともに、彼らの勇気を讃え、志半ばで倒れた者たちの意志を引き継ぐことを強く主張します。 ですがそのような考え方は、 「レースは危ない」と再認識したライトなファン層の意識と大きな隔たりを生み、日本のレースがマニア化していくキッカケを作ってしまいました。 日本におけるスポーツ概念 日本でスポーツというと、歯を食いしばって苦しみに耐えながら、華麗なテクニックを披露することのように捉えられています。 その日本的文脈においてモータースポーツを解釈すると、「死の恐怖に耐えながら」「華麗なドライビングテクニックを披露する」となるはずですが、 ドライビングにテクニックが必要なことを理解していない人の方が多い(レーサーなんて座ってるだけという認識は根強い)ため、「華麗なテクニック」を「高性能を発揮するテクノロジー」と読み替えたのではないでしょうか。 日本ではテクニックとテクノロジーの区別が曖昧ですしね。 するとレースファンの大半が「忍耐賛美派」と「観賞派」であることの説明が付きます。 「観賞派」が増えたのは、ドライビングテクニックに関する知識も無いし、それを可視化することも出来なかったため、見た目にわかりやすい違いを持つ車の方ばかりが注目されたためだと考えられます。 80年代後半から90年代前半は、「日本代表応援団」が加わり、モータースポーツは一大ムーブメントを呼び起こしました。 しかし バブル崩壊で元のマニアックな世界に戻ってしまいました。 スポーツとは何か? wikipediaから引用します。 スポーツ(英: sport)は、人間が考案した施設や技術、ルールに則って営まれる、遊戯・競争・肉体鍛錬の要素を含む身体や頭脳を使った行為。 日本においては身体を使ったものが主体の「フィジカルスポーツ」だけをスポーツとみなす考えが強いが、思考力や計算力といった頭脳を主体の「マインドスポーツ」も本来はスポーツに含まれている。 引用の定義に基づけば、モータースポーツはドライバーのみならず、エンジニアやメカニックもスポーツしていることになります。 しかしそのことが世間一般に認識されないのは、日本的なスポーツ概念の解釈もさることながら、 モータースポーツの運営側や参加しているチームが、自分たちが何をしているのかを伝えてこなかったことに原因があります。 そうなったのは、自動車メーカーの影響力が強かったためです。 モータースポーツの日本的理解と、その限界 自動車メーカーの強い関与が、参加者の努力や工夫を伝えることよりも、参加車両の宣伝を優先させる事態を招きました。 また、一般メディアはセンセーショナルな死亡事故ばかりを取り上げ、モータースポーツの危険性をただ煽るだけでした。 日本的なスポーツ概念の解釈と、自動車メーカーの思惑やメディアの報道姿勢が強固に結びついた結果、「レーシングカーのテクノロジーを観賞するもの」「命がけで走る人たちを応援するもの」というモータースポーツの見方が形成され、バブル期を除きそれが主流となっています。 それゆえに日本では、モータースポーツを「 観戦」する文化が根付かないのです。 フィジカルスポーツとしてのドライビングテクニックやピットワーク、マインドスポーツとしてのエンジニアの緻密な計算などは、自動車メーカーからだけでなくモータースポーツファンからも、さして認められてこなかったのです。 このようなガラパゴスなモータースポーツ解釈では、国際化はうまくいかないでしょう。 車を見せびらかすだけ、歯を食いしばって恐怖に耐えるだけで評価してくれるのは、日本のファンだけです。

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NASCARのようなレースは、「車を観賞する」日本では成功しない。 2015年は日本のモータースポーツにとって節目の年となりました。 ホンダのF1復帰、日産のル・マン復帰(と撤退)、トヨタのWRC復帰発表と、リーマン・ショック以降停滞していた日本のモータースポーツ界に、大きな動きが立て続けに起こりました。 国内のモータースポーツに目を向けると、5月のスーパーGT第2戦富士に9万人以上の観客が詰めかけるなど、一見好調なように見えます。 しかしシリーズ全体の観客動員数は40万人強で、2012年のレベルに戻ってしまいました。 タイでの開催も観客動員が半減し、DTMとの交流戦も先延ばしになるなど、 国際化路線にもほころびが見え始めています。 スーパーフォーミュラはドライバーのレベルこそ高くなっているものの、それが観客動員に結びついていません。 オーバーテイクの少なさや、シャシーがワンメイクであることなどがその理由として考えられます。 競技レベルの向上がシリーズの経済的な発展に直接結びつかないという、スポーツビジネスの難しさに直面しているのです。 モータースポーツを観戦する文化が、なぜ日本には根付かないのか? 筆者なりに答えを探ってみました。 sponsored link Related Posts 日本人が見ているのはモーター「スポーツ」か? 日本のモータースポーツファンの大半は、実は「モータースポーツ」を見ていません。 「モーター」の部分だけ、つまり車だけを見ています。 「スポーツ」の部分に興味を持つ人は少ないです。 そのことは毎年開催されているモータースポーツイベントの数々を見ればわかります。 たとえばお台場で開催されている「モータースポーツジャパン」というイベントがありますが、あれの何が「モータースポーツ」なのか、筆者にはわかりません。 あれはレーシングカーを見せているだけで、スポーツの要素は何一つないのです。 せめてグッドウッドのように、ちょっとしたタイムアタックくらいやれば良いのにと思います。 浅間ヒルクライムも、スロー走行で山道をドライブするだけのイベントになってしまっています。 全開で走りタイムアタックしないなら、ヒルクライムと名付けるべきではありません。 ヒルクライム競技そのものが誤解されてしまいます。 しかし上記のような「レーシングカー見せびらかしイベント」に需要があることからもわかるように、 日本にもレーシングカーが走るのを眺める「観賞文化」は存在します。 けれどスポーツの部分は無視されるので、サーキットに足を運ぶ人の数は全く増えていないわけです。 なぜモーター「スポーツ」は無視されるのか モータースポーツ=マシンとメーカーの対決という刷り込み 日本人のモータースポーツ原体験は、4輪ならば第1回日本グランプリでしょう。 このイベントが2日間で20万人以上もの観客動員を記録した最大の理由は、自動車レースというイベント自体が珍しかったからだそうですが、第2回のスカイラインGT vs ポルシェ904、第3回のR380 vs ポルシェ906という構図からもわかるように、このころから既にマシンやメーカー対決がレースの焦点でした。 富士で芽吹いた「モータースポーツ」 70年に日産とトヨタが撤退したため、日本グランプリは中止を余儀なくされました。 JAFはフォーミュラカーを新たな柱とする意向でしたが人気が出ず、71年から始まった富士グランチャンピオンレース(以下、富士GC)が、国内のモータースポーツを牽引するようになりました。 ムーンクラフトが改良を施したマーチ74S。 ドライバーは高原敬武。 画像の出典: 富士GCはプライベーター主体のレースで、レースの主役はマシンやメーカーではなくドライバーでした。 エンジニアやデザイナーはオリジナルマシンを持ちこみ、市販のレースエンジンを載せ、ドライバーはスポンサーマネーと賞金目当てに運転するという、理想的な「スポーツ」環境でした。 「命がけだから凄い」という評価のされ方 しかしそれが世間一般に「スポーツ」として伝わることはありませんでした。 死亡事故の多発で、富士GCは「スポーツ」ではなく、ローマ時代の戦車競走の如きものだと世間に誤解されたのだと思います。 日本においてカラーテレビの普及率が白黒テレビのそれを上回ったのは、1973年ごろです。 富士GCでの大事故の数々は、カラーテレビで生中継されていました。 死に対する忌避感や、公道暴走行為との関連性から、モータースポーツを野蛮なものと見なす人々は今も存在します。 しかしそれとは正反対に、 命がけだから凄いと認識する人たちもいます。 恐怖に耐える姿に感動する「 忍耐賛美派」です。 日本ではこの「 忍耐賛美派」と「 観賞派」、そして次に説明する「 日本代表応援団」たちが、レースファンを形成してきました。 しかしそれゆえにスポーツたる部分が何なのかは、なおざりにされたまま今に至ることとなったのです。 世界vs日本という構図の功罪 ヒーローたちの死と、技術とともに日進月歩で高速化していくマシンが織りなすサーキットの物語は、危うさをはらむがゆえに若者たちを強く惹きつけ、熱狂の渦を日本全国へと広げていきました。 その熱狂がクライマックスに達したのは、80年代後半から90年代初頭のいわゆるバブル期です。 F1、ル・マン、WRCと、世界の頂点で日本車が大活躍し、いずれのシリーズでもチャンピオンに輝きました。 戦いの構図は国内にも持ち込まれ、かつての日本グランプリ時代と同様、プライベーターのグループCポルシェと日系ワークス・チームとが、全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)でしのぎを削りました。 世界を相手に戦う日本人を応援することに喜びを感じる新しいファン層、すなわち「日本代表応援団」が開拓され、観客席は常に満員でした。 アドバン・アルファ962Cは、日本車の天敵だった。 画像の出典: ドライバーにもスポットライトが当たるようになりました。 日本人初のF1ドライバーである中嶋悟選手はもちろんのこと、マクラーレン・ホンダを駆るアイルトン・セナが国民的なヒーローとして歓迎され、F1ブームのころは頻繁に日本のテレビ番組やCMに登場していました。 頂点からの没落 しかしバブルが崩壊し、ホンダを始めとする日本企業がまるで潮が引くようにF1から撤退すると、世界vs日本という構図における優劣は逆転してしまいました。 F1界に残された唯一の日の丸である日本人ドライバーは、所属するチームやマシンの低調なパフォーマンスに苦しめられ、思うような成績を残せなかったためです。 日本人ドライバーが活躍できなかったことで、「結局モータースポーツは車次第」「ドライバーの力でどうにかなるものではない」という誤解を招いたことは否めません。 たしかにマシンは重要です。 しかしマシン性能だけで勝てるほど甘くはありません。 サッカーがFWの技術と才能だけでは勝てないのと同じく、モータースポーツもチーム全体のパフォーマンスが重要なスポーツなのです。 けれど 「頂点を極めた」と思い込んでいた日本のレースファン、とりわけ日本代表応援団たちは、負け続ける屈辱感に耐えられず、次第にF1から離れていきました。 とくに彼らは車よりもドライバーの方に肩入れしていました(セナファンはその典型)から、「結局車次第」という誤解の広まりは、彼らがモータースポーツ離れを起こすキッカケとなりました。 日本代表応援団は、スポーツに関する知識に乏しいです。 それはサッカー日本代表のサポーターを見てもわかると思います。 彼らは日本人が奇跡を起こす様を見たいのであって、スポーツを見たいのではないのです。 でも車は奇跡を起こしませんから、日本代表応援団は興味を失ったのです。 英雄の死 日本と馴染み深い2人、アイルトン・セナとローランド・ラッツェンバーガーの死は、F1ブームで興味を持ったライトなファン層に「 やはりモータースポーツは危険だ」という印象を強く与えました。 精神的なショックを受け、レースを見られなくなったという人もいると思います。 けれど「忍耐賛美派」は、英雄の死を悼むとともに、彼らの勇気を讃え、志半ばで倒れた者たちの意志を引き継ぐことを強く主張します。 ですがそのような考え方は、 「レースは危ない」と再認識したライトなファン層の意識と大きな隔たりを生み、日本のレースがマニア化していくキッカケを作ってしまいました。 日本におけるスポーツ概念 日本でスポーツというと、歯を食いしばって苦しみに耐えながら、華麗なテクニックを披露することのように捉えられています。 その日本的文脈においてモータースポーツを解釈すると、「死の恐怖に耐えながら」「華麗なドライビングテクニックを披露する」となるはずですが、 ドライビングにテクニックが必要なことを理解していない人の方が多い(レーサーなんて座ってるだけという認識は根強い)ため、「華麗なテクニック」を「高性能を発揮するテクノロジー」と読み替えたのではないでしょうか。 日本ではテクニックとテクノロジーの区別が曖昧ですしね。 するとレースファンの大半が「忍耐賛美派」と「観賞派」であることの説明が付きます。 「観賞派」が増えたのは、ドライビングテクニックに関する知識も無いし、それを可視化することも出来なかったため、見た目にわかりやすい違いを持つ車の方ばかりが注目されたためだと考えられます。 80年代後半から90年代前半は、「日本代表応援団」が加わり、モータースポーツは一大ムーブメントを呼び起こしました。 しかし バブル崩壊で元のマニアックな世界に戻ってしまいました。 スポーツとは何か? wikipediaから引用します。 スポーツ(英: sport)は、人間が考案した施設や技術、ルールに則って営まれる、遊戯・競争・肉体鍛錬の要素を含む身体や頭脳を使った行為。 日本においては身体を使ったものが主体の「フィジカルスポーツ」だけをスポーツとみなす考えが強いが、思考力や計算力といった頭脳を主体の「マインドスポーツ」も本来はスポーツに含まれている。 引用の定義に基づけば、モータースポーツはドライバーのみならず、エンジニアやメカニックもスポーツしていることになります。 しかしそのことが世間一般に認識されないのは、日本的なスポーツ概念の解釈もさることながら、 モータースポーツの運営側や参加しているチームが、自分たちが何をしているのかを伝えてこなかったことに原因があります。 そうなったのは、自動車メーカーの影響力が強かったためです。 モータースポーツの日本的理解と、その限界 自動車メーカーの強い関与が、参加者の努力や工夫を伝えることよりも、参加車両の宣伝を優先させる事態を招きました。 また、一般メディアはセンセーショナルな死亡事故ばかりを取り上げ、モータースポーツの危険性をただ煽るだけでした。 日本的なスポーツ概念の解釈と、自動車メーカーの思惑やメディアの報道姿勢が強固に結びついた結果、「レーシングカーのテクノロジーを観賞するもの」「命がけで走る人たちを応援するもの」というモータースポーツの見方が形成され、バブル期を除きそれが主流となっています。 それゆえに日本では、モータースポーツを「 観戦」する文化が根付かないのです。 フィジカルスポーツとしてのドライビングテクニックやピットワーク、マインドスポーツとしてのエンジニアの緻密な計算などは、自動車メーカーからだけでなくモータースポーツファンからも、さして認められてこなかったのです。 このようなガラパゴスなモータースポーツ解釈では、国際化はうまくいかないでしょう。 車を見せびらかすだけ、歯を食いしばって恐怖に耐えるだけで評価してくれるのは、日本のファンだけです。

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