あおにゃん note。 あおにゃんが語る♡「あいのりアフリカンジャーニー『私たちのその後・・・』」|あおにゃん|note

あおにゃんが語る♡「あいのりアフリカンジャーニー第18話『飛んで火に入る夏の虫』の回」|あおにゃん|note

あおにゃん note

私やAMASTAGEのことを知って欲しい!みんなに想いを伝えたい!と思い、noteを使ってみることにしました。 愛称は、あおにゃん。 1993年12月13日生まれの26歳。 青山学院大学出身。 株式会社アマステージの代表取締役。 Netflix『あいのりAfrican Journey』に出演。 簡単に言えばこんな感じかな?ここから今の私になるまでの経験と学んだことをお話しさせてください。 ー これまでの私について語ります。 小さい頃からアイドルが好きでテレビを見て歌って踊ったり、辻ちゃんが好きでハロー! プロジェクトのライブにたくさん行きました。 大人しくて目立ちたくなくて、男嫌いな子でしたね…。 中学受験をして、東京大学の附属の中高一貫校(東京大学教育学部附属中等教育学校)に入学。 「生きる力」を育てる学校で、生徒も少人数で個性の強い人だらけ。 先生の何気ない「自分を変えるのは自分だよ」って言葉に刺激を受けたことを覚えています。 ここでだいぶ人間性が変わって、いまの「あおにゃん」をがつくられた気がします。 ほぼ帰宅部だったので、体育祭の応援団や、文化祭のお店作り、ダンス愛好会のようなものと〇〇祭に完全燃焼してそれ以外はカラオケ行ったりプリクラ撮ったりバイトしたりな放課後を過ごしてました。 バイトは歌舞伎町のビラ配り!AKB全盛期でたかみな(高橋みなみ)に憧れていて、彼女の言葉「努力は必ず報われる」を信じて生きていました。 大学は駒澤大学のグローバルメディアスタディーズ学部に入学したんですが、経営学部に行きたくて(他にも理由は色々ありました!)仮面浪人をして改めて、青山学院大学経営学部マーケティング学科に入学。 単純に自分でゼロから何かを作ることが好きだったから、経営とかマーケティングに興味があって、大学時代は自由な時間を使っていろんな経験を積みたいなって思っていたからここを選びました。 イベントは日本武道館や両国国技館などの大きい会場で実施。 数百人規模の団体で、総務・イベント・広報・渉外・メディア・フリーペーパーと6局に分かれ、会社のような組織でした。 そんな中で、自分が所属する意味を考える場面が多くなり、仕事上で「替えのきかない人間になろう」とか「私だけのポジションを作ろう」と意識して過ごしていました。 ・Ageでの経験 キャスティング統括を務めたときは、各芸能事務所やレコード会社、アーティストの方々とお仕事をする場面が多く、大人との接し方を学びました。 早稲田祭など首都圏の大学祭の企画で新入生統括を務めたときは、企画の作り方や運営の仕方を教え、後輩への指導を学びました。 イベント制作は、コンセプトから制作物までゼロから仲間と作り出すことの面白さ、ステージを通してお客様を感動させることの楽しさ、人やグループの魅力を自分のアイディアや形で世の中に伝えていくことなど、一瞬の時間のために長い時間議論しながら一生懸命頑張ることは、苦しい以上に楽しくて仕方なかったです。 ・UNIDOLとは? 大学対抗の女子大生アイドル日本一決定戦です。 その名称は、「UNIversity iDOL」に由来します。 その名の通り、「普通の女子大生が、一夜限りの"アイドル"としてステージに立つ」というコンセプトのもとでコピーダンスイベントを開催しています。 ・UNIDOLとの出会い 大学1年生の頃、何か物足りないなぁと思いAgeでお世話になっていた広告代理店でインターンを始めた時、最初に連れて行かれた現場がUNIDOLのスピンオフイベント。 それまでUNIDOLの存在は知っていたものの友達が出ているくらいの認識しかなく、この日初めてUNIDOLのイベントを見ました。 スタッフとして入れてもらったにも関わらず、仕事放棄して、いつしかステージに夢中になっていた私。 話しかけられないくらい夢中だったそうです。 当時の私のバカっぽいツイートなんですが、普通の女子大生なのにキラキラしたステージで、しかも大好きなアイドルのコピーダンスを踊れる。 「何このイベント…!!!」とUNIDOLに惹かれ、ステージを見た瞬間から私も出るってすぐに決心していました。 結果として、2014年夏に品川ステラボール、2014-15年冬にZeppDiverCityTokyoに、合わせて一年間演者として出場していました。 UNIDOLの大会は、各エリアで予選大会を実施した後、決勝戦に進出。 敗退チームは決勝戦同日の敗者復活戦で再挑戦。 全て、観客投票と審査員投票で順位が決められるという仕組みです。 大学のサークルで代々継がれている大規模なチームもあれば、仲良し数人で組んだチームもあり、私は後者だったので勝ち上がる戦略を何度も考えました。 自分のチームの戦略は、他のチームがまだ挑戦していない領域を極めることで差別化を図ることでした。 当時、パフォーマンスの背景映像に拘っているチームはほぼ居なく、本家のアイドルの楽曲の中で映像が凝っている曲を選び、高い再現度とクオリティでコピーしました。 今は当たり前かもしれませんが、この時は最初にそれを実行したから響いたのだと思います。 」という一緒にチームを創っているようなコンセプトを大切に演出や構成を考えました。 特別可愛いわけでもなく、ダンスが上手いわけでもなかったですが新しい取り組みを常に心掛けていたことが勝因だと思います。 ダンスパフォーマンスを極め表現することはもちろん、一つ一つの曲やアイドルに対する研究、衣装製作、音源や映像編集、自分自身チームの広報、特典の製作、チケット販売等、その中でチームメンバーをまとめ、かつ演者としてお客さんに楽しんでもらえるようなステージを作ること。 他にも沢山あると思いますが、想像以上にキラキラしたあの一瞬を作ることは泥臭くて大変でした。 ただ自分たちで考えて大好きなアイドルや楽曲を表現して、評価され、目標を達成することは何よりも快感で、良い経験になりました。 当時のUNIDOLよりも、大会の規模も演者のクオリティも年々上がっておりますが、変わらずに言えることは、甲子園や駅伝のように青春を賭けた熱い戦いであることです。 この大会を経験した演者は、多くの誘惑がある大学生活の中様々なものを犠牲にして、頂上を目指すために一生懸命になる共通の突破経験があると言えます。 ・UNIDOL運営経験(実行委員として) 演者をしていた時に、私が作っていた告知画像をきっかけに声をかけてもらったのがUNIDOL実行委員会でした。 まだ組織として成り立っていなかった運営も、今ではAgeのような大規模な学生団体になっていますが、この時は数人の運営の学生が頑張っているイメージでした。 自分が好きで画像を制作したり、デザインを考えることが得意だったので、長所を活かしてUNIDOLのクリエイティブに携わることができ、世に出回ることが嬉しかったです。 それをきっかけに、演者を引退した後もUNIDOLから離れることはなく、エリア大会(北海道、東海、関西、九州など)の統括なども務めました。 UNIDOLの運営経験は、演者経験だけでは気付くことが出来ない一つ一つのチームのドラマを近くで見守ることができ、彼女たちの輝きの一瞬を作るための大会作りに徹したため、一つのコンテンツに対する両側面の見方を学ぶことができました。 ・姉妹イベント『Highdol(ハイドル)』の立ち上げ UNIDOLの運営をやりながら、姉妹イベントとして女子高生版の「Highdol」を、嬉しいことに日本テレビと共同で立ち上げることになりました。 女子高生のイベントなので、賛否両論意見はありましたが、様々な困難を乗り越えながらも「ない世界に文化を作ること」私の中で初めてのゼロイチ経験でした。 UNIDOLと違って、学校や親御さんの反対や、自由度が低い部分もあり出場チームの確保が難しかったり、高校生に向けて周知させることも大変でした。 予期せぬことが多くありながらも、夏休みに日本テレビの一イベント企画として、毎日ステージを実施して大会を迎える貴重な経験、そしてUNIDOLに憧れている彼女たちのひたむきな姿と笑顔、自分が作ったコンテンツに対し親心も芽生え、愛着が湧いていました。 たまたまこのようなお話を頂けたのも偶然ではありますが、「ステージ併設型のお店を作ってみたい」「日本のサブカルチャーを発信し、新たな価値観を創出したい」という想いのもと海外に飛び立ちました。 この経験では、日本のサブカルチャーが発展していない異国で、店舗を立ち上げ、お客様が来店する仕組みを作るという中で、人材の採用と教育を通して引き継ぎを見据えた体制作り、店舗の収益をあげることの難しさを学びました。 お世話になったのは、福岡で有名な「てつおじさんのチーズケーキ」というお店です。 メインはオーストラリアのシドニーでの立ち上げで、店舗の設計・デザイン、人材の採用と教育、飲食物の仕入れやメニューの選定など、飲食店づくりは未経験なことばかりでした。 それに加えて、アイドルコピーダンスを披露するステージ作りや、現地の方々に楽しんでもらえるイベントの企画なども、少ない3ヶ月で全て実装しました。 日本のアニメやアイドルを好む外国人の方々と交流することができ、そうでない人々にも新たな文化を提供できたこと一緒に分かち合えたことは一生の思い出ですし、店舗という点で、私がやりたい好きなことをビジネスにする第一歩でしたね。 続きは長くなるので、また今度お話しします。 ここで働くキャストは、UNIDOLというアイドルコピーダンス大会の出場者または元出場者です。 2018年6月に東京・秋葉原本店、2020年3月に大阪・なんば店、現在2店舗を運営しています。 小さい頃から大好きなあいのりに参加できたことは、夢のようなかけがえのない経験でした。 旅のおきては、告白してOKならキスして帰国、NOなら一人で帰国。 うわ〜〜〜長くなってしまいましたが、一度自分の人生振り返ってみたかったので。。。 いい機会になりました!ここまで読んでくれた方ありがとうございます!とにかくこの一貫した活動の中で数々の学びがあり、今の自分がいます。

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『今頑張りたい活動』と『私の夢』について|あおにゃん|note

あおにゃん note

詳しくはあおにゃんのnoteに書かれています。 そして同じ日、ジェノベもアメブロで報告。 (ちなみにハスキーもJOYくんと別れていることを報告) ちなみにJOYくんは特に何も言ってません。。 こればっかりは仕方ないです。 ジェノベのブログから、ヤラセヤラセ言われていたストレスを感じました。 ネガティブなコメントする人ってなんなんでしょうね。。。 そんな報告する義務ないですからね。 SNSない時代のあいのりとか、報告も何もないじゃないですかね。。。。 なので、コメントで私はしたことないですが、別れたんですか?とかDMするのはやめましょうね。 私はみんなのSNSをフォローしてるのですが、本当に応援してます! あおにゃん、ハスキー大好き!!!.

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あおにゃんが語る♡「あいのりアフリカンジャーニー第17話『あなたが私にくれたもの』の回」|あおにゃん|note

あおにゃん note

私やAMASTAGEのことを知って欲しい!みんなに想いを伝えたい!と思い、noteを使ってみることにしました。 愛称は、あおにゃん。 1993年12月13日生まれの26歳。 青山学院大学出身。 株式会社アマステージの代表取締役。 Netflix『あいのりAfrican Journey』に出演。 簡単に言えばこんな感じかな?ここから今の私になるまでの経験と学んだことをお話しさせてください。 ー これまでの私について語ります。 小さい頃からアイドルが好きでテレビを見て歌って踊ったり、辻ちゃんが好きでハロー! プロジェクトのライブにたくさん行きました。 大人しくて目立ちたくなくて、男嫌いな子でしたね…。 中学受験をして、東京大学の附属の中高一貫校(東京大学教育学部附属中等教育学校)に入学。 「生きる力」を育てる学校で、生徒も少人数で個性の強い人だらけ。 先生の何気ない「自分を変えるのは自分だよ」って言葉に刺激を受けたことを覚えています。 ここでだいぶ人間性が変わって、いまの「あおにゃん」をがつくられた気がします。 ほぼ帰宅部だったので、体育祭の応援団や、文化祭のお店作り、ダンス愛好会のようなものと〇〇祭に完全燃焼してそれ以外はカラオケ行ったりプリクラ撮ったりバイトしたりな放課後を過ごしてました。 バイトは歌舞伎町のビラ配り!AKB全盛期でたかみな(高橋みなみ)に憧れていて、彼女の言葉「努力は必ず報われる」を信じて生きていました。 大学は駒澤大学のグローバルメディアスタディーズ学部に入学したんですが、経営学部に行きたくて(他にも理由は色々ありました!)仮面浪人をして改めて、青山学院大学経営学部マーケティング学科に入学。 単純に自分でゼロから何かを作ることが好きだったから、経営とかマーケティングに興味があって、大学時代は自由な時間を使っていろんな経験を積みたいなって思っていたからここを選びました。 イベントは日本武道館や両国国技館などの大きい会場で実施。 数百人規模の団体で、総務・イベント・広報・渉外・メディア・フリーペーパーと6局に分かれ、会社のような組織でした。 そんな中で、自分が所属する意味を考える場面が多くなり、仕事上で「替えのきかない人間になろう」とか「私だけのポジションを作ろう」と意識して過ごしていました。 ・Ageでの経験 キャスティング統括を務めたときは、各芸能事務所やレコード会社、アーティストの方々とお仕事をする場面が多く、大人との接し方を学びました。 早稲田祭など首都圏の大学祭の企画で新入生統括を務めたときは、企画の作り方や運営の仕方を教え、後輩への指導を学びました。 イベント制作は、コンセプトから制作物までゼロから仲間と作り出すことの面白さ、ステージを通してお客様を感動させることの楽しさ、人やグループの魅力を自分のアイディアや形で世の中に伝えていくことなど、一瞬の時間のために長い時間議論しながら一生懸命頑張ることは、苦しい以上に楽しくて仕方なかったです。 ・UNIDOLとは? 大学対抗の女子大生アイドル日本一決定戦です。 その名称は、「UNIversity iDOL」に由来します。 その名の通り、「普通の女子大生が、一夜限りの"アイドル"としてステージに立つ」というコンセプトのもとでコピーダンスイベントを開催しています。 ・UNIDOLとの出会い 大学1年生の頃、何か物足りないなぁと思いAgeでお世話になっていた広告代理店でインターンを始めた時、最初に連れて行かれた現場がUNIDOLのスピンオフイベント。 それまでUNIDOLの存在は知っていたものの友達が出ているくらいの認識しかなく、この日初めてUNIDOLのイベントを見ました。 スタッフとして入れてもらったにも関わらず、仕事放棄して、いつしかステージに夢中になっていた私。 話しかけられないくらい夢中だったそうです。 当時の私のバカっぽいツイートなんですが、普通の女子大生なのにキラキラしたステージで、しかも大好きなアイドルのコピーダンスを踊れる。 「何このイベント…!!!」とUNIDOLに惹かれ、ステージを見た瞬間から私も出るってすぐに決心していました。 結果として、2014年夏に品川ステラボール、2014-15年冬にZeppDiverCityTokyoに、合わせて一年間演者として出場していました。 UNIDOLの大会は、各エリアで予選大会を実施した後、決勝戦に進出。 敗退チームは決勝戦同日の敗者復活戦で再挑戦。 全て、観客投票と審査員投票で順位が決められるという仕組みです。 大学のサークルで代々継がれている大規模なチームもあれば、仲良し数人で組んだチームもあり、私は後者だったので勝ち上がる戦略を何度も考えました。 自分のチームの戦略は、他のチームがまだ挑戦していない領域を極めることで差別化を図ることでした。 当時、パフォーマンスの背景映像に拘っているチームはほぼ居なく、本家のアイドルの楽曲の中で映像が凝っている曲を選び、高い再現度とクオリティでコピーしました。 今は当たり前かもしれませんが、この時は最初にそれを実行したから響いたのだと思います。 」という一緒にチームを創っているようなコンセプトを大切に演出や構成を考えました。 特別可愛いわけでもなく、ダンスが上手いわけでもなかったですが新しい取り組みを常に心掛けていたことが勝因だと思います。 ダンスパフォーマンスを極め表現することはもちろん、一つ一つの曲やアイドルに対する研究、衣装製作、音源や映像編集、自分自身チームの広報、特典の製作、チケット販売等、その中でチームメンバーをまとめ、かつ演者としてお客さんに楽しんでもらえるようなステージを作ること。 他にも沢山あると思いますが、想像以上にキラキラしたあの一瞬を作ることは泥臭くて大変でした。 ただ自分たちで考えて大好きなアイドルや楽曲を表現して、評価され、目標を達成することは何よりも快感で、良い経験になりました。 当時のUNIDOLよりも、大会の規模も演者のクオリティも年々上がっておりますが、変わらずに言えることは、甲子園や駅伝のように青春を賭けた熱い戦いであることです。 この大会を経験した演者は、多くの誘惑がある大学生活の中様々なものを犠牲にして、頂上を目指すために一生懸命になる共通の突破経験があると言えます。 ・UNIDOL運営経験(実行委員として) 演者をしていた時に、私が作っていた告知画像をきっかけに声をかけてもらったのがUNIDOL実行委員会でした。 まだ組織として成り立っていなかった運営も、今ではAgeのような大規模な学生団体になっていますが、この時は数人の運営の学生が頑張っているイメージでした。 自分が好きで画像を制作したり、デザインを考えることが得意だったので、長所を活かしてUNIDOLのクリエイティブに携わることができ、世に出回ることが嬉しかったです。 それをきっかけに、演者を引退した後もUNIDOLから離れることはなく、エリア大会(北海道、東海、関西、九州など)の統括なども務めました。 UNIDOLの運営経験は、演者経験だけでは気付くことが出来ない一つ一つのチームのドラマを近くで見守ることができ、彼女たちの輝きの一瞬を作るための大会作りに徹したため、一つのコンテンツに対する両側面の見方を学ぶことができました。 ・姉妹イベント『Highdol(ハイドル)』の立ち上げ UNIDOLの運営をやりながら、姉妹イベントとして女子高生版の「Highdol」を、嬉しいことに日本テレビと共同で立ち上げることになりました。 女子高生のイベントなので、賛否両論意見はありましたが、様々な困難を乗り越えながらも「ない世界に文化を作ること」私の中で初めてのゼロイチ経験でした。 UNIDOLと違って、学校や親御さんの反対や、自由度が低い部分もあり出場チームの確保が難しかったり、高校生に向けて周知させることも大変でした。 予期せぬことが多くありながらも、夏休みに日本テレビの一イベント企画として、毎日ステージを実施して大会を迎える貴重な経験、そしてUNIDOLに憧れている彼女たちのひたむきな姿と笑顔、自分が作ったコンテンツに対し親心も芽生え、愛着が湧いていました。 たまたまこのようなお話を頂けたのも偶然ではありますが、「ステージ併設型のお店を作ってみたい」「日本のサブカルチャーを発信し、新たな価値観を創出したい」という想いのもと海外に飛び立ちました。 この経験では、日本のサブカルチャーが発展していない異国で、店舗を立ち上げ、お客様が来店する仕組みを作るという中で、人材の採用と教育を通して引き継ぎを見据えた体制作り、店舗の収益をあげることの難しさを学びました。 お世話になったのは、福岡で有名な「てつおじさんのチーズケーキ」というお店です。 メインはオーストラリアのシドニーでの立ち上げで、店舗の設計・デザイン、人材の採用と教育、飲食物の仕入れやメニューの選定など、飲食店づくりは未経験なことばかりでした。 それに加えて、アイドルコピーダンスを披露するステージ作りや、現地の方々に楽しんでもらえるイベントの企画なども、少ない3ヶ月で全て実装しました。 日本のアニメやアイドルを好む外国人の方々と交流することができ、そうでない人々にも新たな文化を提供できたこと一緒に分かち合えたことは一生の思い出ですし、店舗という点で、私がやりたい好きなことをビジネスにする第一歩でしたね。 続きは長くなるので、また今度お話しします。 ここで働くキャストは、UNIDOLというアイドルコピーダンス大会の出場者または元出場者です。 2018年6月に東京・秋葉原本店、2020年3月に大阪・なんば店、現在2店舗を運営しています。 小さい頃から大好きなあいのりに参加できたことは、夢のようなかけがえのない経験でした。 旅のおきては、告白してOKならキスして帰国、NOなら一人で帰国。 うわ〜〜〜長くなってしまいましたが、一度自分の人生振り返ってみたかったので。。。 いい機会になりました!ここまで読んでくれた方ありがとうございます!とにかくこの一貫した活動の中で数々の学びがあり、今の自分がいます。

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