海までいこう。 ソンドンイル演じる【青い海の伝説】マデヨンの役がらは?プロフィールや経歴も気になる

ソンドンイル演じる【青い海の伝説】マデヨンの役がらは?プロフィールや経歴も気になる

海までいこう

突然ですが、皆さんは「」についてどのようなイメージをお持ちですか?? 南米の陽気な感じ。 海賊や海軍、船乗りなど海の男のイメージ。 など少し明るいイメージがあるのではないでしょうか。 しかし その背景には とんでもなく壮絶で残酷な歴史があることはご存じですか?? そこで今回はラムの壮絶な歴史から解説していき、ラムの製法・種類なども見ていこうと思います!!• ラムを見ていくために必要な砂糖の歴史 もともと ラムは砂糖の副産物として生み出された。 ラムの歴史を知るためには、まず砂糖の歴史から見ていこうと思います 製糖技術の広がり インドから、教徒によりサトウキビの栽培方法や製糖技術は伝播されました。 そして十字軍の遠征をきっかけとしてヨーロッパへと広まっていきます。 その後地中海でサトウキビの栽培と製糖業が開始したが、 地中海域はサトウキビの育成に必要な降雨量と日照時間が足りません。 つまり 砂糖の大量生産ができなかったのです。 15世紀になり、の発明などにより航海術が向上、 へと突入します。 はじめにの航海士が、アフリカ西岸のマディラ諸島に入植。 一大サトウキビのを建設し成功。 それに続き スペインも、に同様の砂糖を築き、成功します。 の新大陸発見 の船乗りは、地球球体説を信じ、大西洋縦断を計画。 大陸のはるか東にある 希少なスパイス類が豊富なインドや 黄金境として知られていた日本、中国へは大西洋を西へ進めばたどり着けるだろうと考えていました。 大波に揺られながら61日間の航海の末、諸島のグアナハニ島(現ワトリング島)に到着、 サン・サルバドル(聖救世主)と名付けます。 その後、や(現ハイチと)にも上陸。 彼はについたとき、 島ではなく中国大陸の一端だと思い込んでしまったといわれています。 は2回目の航海の時に産のサトウキビの苗をパニョーラ等へ運び移植しました。 今でこそ南米はサトウキビのイメージが強いですが、 がサトウキビを持ち込むまでカリブ及び、には1本たりともサトウキビは存在しなかったそうです。 サトウキビ以外にもヨーロッパから小麦、コーヒー、オレンジなど様々なものが新大陸に持ち込まれます。 反対に新大陸からたばこ、トマト、トウガラシ、ジャガイモ、カボチャなどがヨーロッパに持ち込まれました。 ただ当時のトマトやトウガラシ、ジャガイモは観賞用。 ヨーロッパでは毒があると信じられていました。 は新大陸を発見し、多くの文化に影響・貢献したものの、カ大陸は1499年に到達したゴ・ヴェスプッチに由来するカとされることになります。 世界史の教科書には必ず出てくる偉人ですが、 生前に認められることはなかったそうです。 の葬儀には彼の弟と息子たちだけだったといわれています。 世界に功績が認められたのがは、彼が死んでから400年以上経ってからでした。 ちなみに人気漫画「ワンピース」の・ノーランド(嘘つきノーランド)はがモデルでは?という考察もあるようです。 トリデシリャス条約 新大陸発見からとスペインの領土争いは激しさを増していました。 世界的に深刻な問題となったために 時のアレクサンデル6世は領土のざっくりとした統括を目的としてトリデシリャス条約を発令します。 発見された新大陸のうち赤い線の西側の陸地はスペインのもの、東側の陸地はのものと勝手に土地を分けてしまいます。 争いを見ていてめんどくさくなったが 「ここから西がスペイン!!東が!!ハイ終わり!!」ってつけたような条約だと思います。 (個人的な見方です。 ) かなり雑ですよね。。。 はブラジルの一部を除いて、すべてスペイン領となりました。 現在でも の国の中でブラジルだけなのはこの条約があったからだといわれています。 これにより、 イギリスやフランスなどはこの領土争いに参入できなくなります。 何の相談もなくの一存で定められた条約に、ほかのヨーロッパ諸国から批判殺到です。 (この条約の一番の被害者はやアフリカ、東南アジアなどの地域ですが……。 ) とともにラムが誕生 トリデシリャス条約のためイギリスやフランスなどは、指をくわえて待つしかできなかったというわけではなかったようです。 そこでイギリスやフランスは、 金銀財宝を積んだスペイン船団を襲撃することから活動し始めます。 つまり海賊です。 当時はイギリスやフランスが海賊たちに根回して、スペインやの船団を襲わせていたといわれています。 彼らはスペイン船団やスペインの植民地を次々と襲い略奪していきました。 1588年 でついにスペインのが撃破。 その後スペインは全体の支配権を失うこととなります。 するとイギリスやフランスはの島々から侵略し始めます。 の島々は金銀があまり取れないそう。 スペイン船団が 先住民を金銀の採れる地域へ奴隷として連れてったり、虐殺してしまったりしたため過疎化していました。 そのためイギリスやフランスは簡単に植民地化できたそう。 それ以外にも 諸国の先住民は、ヨーロッパやアフリカから持ち込まれた疫病によって多くの人がなくなったというのも過疎化の原因です。 もともとイギリスやフランスは、 砂糖の大量生産が植民地化の目的でした。 占領した地域をどんどんサトウキビ畑に変えていきます。 大規模なを作るためには、 多大な労働力が必要。 アフリカから大量の奴隷が連れてこられ、カリブの島々ので働かされることになります。 つまり です。 で造られた砂糖がヨーロッパに運ばれます。 ヨーロッパにつくと、 砂糖と奴隷の確保のための最新武器を交換してアフリカに運ばれていきます。 そして武器を使って 捕まえた奴隷を連れてまたカリブの国々に運ぶという が出来上がりました。 でヨーロッパは莫大な利益を上げました。 その一方で、 カリブと西アフリカは、人的資源やもともとの文化を根こそぎ奪われ、現在まで政情不和や経済的な偏りによる貧困が続いています。 により大規模なができ、砂糖が大量に作られるようになりました。 そして 砂糖の副産物として結晶化しない甘いシロップ(モラセス)が大量にできます。 多くのでこのモラセスを発酵、蒸留しラムを作るようになりました。 当時のラムはヨーロッパ人にとっての嗜好品ではなかったため、かなり雑味が強く荒々しい酒だったといわれています。 これは奴隷たちに命令を聞かせるアメとして配っていたそうです。 「経営の上手いはラムをうまく使いこなしている」と白人経営者の中で広まっていきます。 船乗りとラム 奴隷のアメとムチのアメとして短期間で広まったラム。 しかしいつしか ラムがに効く特効薬と船乗りたちに信じられるようになっていきます。 とは… ビタミンC欠乏症による出血性の症状。 最悪の場合、気です。 当時大西洋を横断していた船乗りたちの間で蔓延し、恐れられていました。 ところがラムを飲んでいた船の乗組員たちは全くにならなかったのです。 船乗りたちは荒々しい当時のラムを、ライムジュースと砂糖で割って飲んでいたといわれています。 この ライムジュースが、に効いていたのです。 しかしずっとラムが特効薬だと信じられていました。 1731年、イギリスは海軍全員にラムを支給する規則を設けます。 この海軍のイメージが色濃く残っているのが、「パッサーズラム」です。 この支給は1970年7月30日イギリスでラムの支給廃止の日(ブラック・・デイ)まで続きました。 ラムは船乗りに欠かせない飲み物となります。 商船や海賊船、海軍などすべての船、そして港街の酒場などにも置かれるようになっていきます。 ラムが嗜好品に!! 奴隷のアメや船乗りの特効薬として広まっていたラムでしたが、1693年大きな機転が訪れます。 に修道士ジャン・バチスト・ラバが訪れます。 彼は修道僧だけでなく、美食家としての有名でした。 ラムも蒸留をちゃんとやればうまくなるのでは?と思い、 コニャックと同じ製法で造ってみることにします。 フランス本土からコニャックの蒸留機を持ち込み、コニャックと同じに丁寧に蒸留を行いました。 結果、現在のラムに近い高品質なお酒となります。 そして砂糖とともに 第1級の貿易商品として輸出されることとなります。 これに倣って イギリス植民地にはスコッチの技術、 スペイン植民地ではーやーブランデーの技術が持ち込まれます。 ここから、フランス系ラム、イギリス系ラム、スペイン系ラムという特徴が生まれました。 (ここを早く知りたい人は) 度の廃止 1776年、カ独立宣言。 1789年から始まるなどが影響して、 ヨーロッパで黒人の流れができ始めます。 1804年には世界初の黒人共和国としてハイチがフランスから独立。 これによりハイチで砂糖のを築いていた白人経営者たちは、に亡命します。 そしてハイチに変わって が世界一の砂糖生産国に。 (結局場所が変わっただけで同じ農場を作ります。 ) にイギリス、1848年にはフランスがを廃止します。 黒人奴隷が解放されるとカリブやの砂糖は深刻な労働力不足に陥ります。 すると今度は 中近東や東南アジアから大量の奴隷が連れてこられるようになりました。 カリブ諸国はより多種多様の文化入り乱れることになります。 サトウキビじゃない新しい砂糖の誕生 18世紀寒冷地でも栽培できる甜菜からサトウキビと同じような甘味成分が取れることが発見されます。 1786年にはが完成。 同時に精白糖の製造に成功します。 するとクセの少ない精白糖が人気になっていきます。 また1806年にフランスの大陸封鎖を配布。 フランスは自国の植民地などからの砂糖もストップします。 その打開策としてフランス国内で甜菜の栽培を進めるようになりました。 やなどでは 砂糖の不良在庫が増えます。 反対にラムの人気はどんどん高くなっため、副材料だったモラセスが不足に! 「ラム用のモラセスを作るために砂糖を作る」という今までと逆の状態となります。 そしてまた砂糖の不良在庫が生まれて 、砂糖の価格はさらに下落。 多くの製糖工場が倒産していきました。 ラム業者はこの対策としてサトウキビジュースをそのまま発酵し、ラムを作るようになります。 これが 「アグリコールラム」の誕生です。 とラム 19世紀後半からでラムづくりが本格化します。 カでが施行されると 多くのカ人がを訪れて観光地として栄えました。 この時、をはじめ多くのラム蒸留所は急成長! が廃止されるとカへの輸出でさらに規模を拡大していきます。 1959年が起きると政府から土地と財産の没収を免れるため、 のような大手はなどに亡命します。 そして亡命先で今までと同じようにラムを作り始めます。 やもと同じようにライトでスムースなタイプのラムが造られるようになりました。 ラムの 産ラムがフランス本土のを取得すると、各地でラ ムの品質保証の流れができます。 「アグリコールラム」に続き、「ハイモラセスラム」の確立やの大手ズメーカーの参入など、今現在ラムがどんどん発展してきています。 実際でもラムが最近人気になっているような気がします。 リンク の分類 作り方による違い 現在ラムには3タイプの作り方があります。 トラディショナル ジュースのうち結晶化するものが砂糖となりますが、結晶化しない(モラセス)という副産物が出来上がります。 伝統的なラムではこのを発酵、蒸留させてラムを作ります。 9割のラムがこの製法です。 もともとラムが砂糖の副産物であったことからこれが伝統的な製法でした。 アグリコール 砂糖よりラムの需要が高くなった時に開発された製法です。 サトウキビを絞った100%サトウキビジュースにを加えて発酵させ、蒸留しラムを作ります。 19世紀にフランスの植民地で確立した方法でフランス海外県の、、、レユニオンでよく行われる方法です。 ただ サトウキビの収穫時期にしかこの製法のラムを作ることができません。 ハイテストモラセス トラディショナルとアグリコールのハイブリット的な製法です。 ジュースを腐りにくい糖度まで煮詰めてから保管。 ラムを作るときに加水して発酵、蒸留を行う方法です。 ジュース100%の風味や味わいをあまり失うことなく、と同じように冷蔵保存できるため1年中ラムが製造できます。 この方法は「ロン・サカパ」が有名です。 ロン・サカパ ロン・サカパは 「雲の上で熟成されたラム」として有名。 ジュース100%の1番絞りを濃縮した蜜( 「バージン・シュガーケイン・ハニー」と呼ばれています。 )を使った甘く芳醇な味わいとパイナップルから採取したによる甘美なアロマが特徴的です。 リンク 熟成方法、熟成期間の違い ホワイトラム 基本的に熟成をしていない無色透明なラム。 ラムのほとんどがホワイトラムとして楽しまれています。 クリアで軽い味わいなのでカクテルベースに向きです。 またアグリコールのホワイトラムでは、 サトウキビ本来のアロマやフレーバーを楽しめるのでストレートやロックもおすすめです。 樽も内側を焦がしていない大樽かバーボンの空き樽を使うことが多いです。 そこからラムの樽熟成が始まったといわれています。 ホワイトラムのフレッシュさも残しつつまろやかな味わいが特徴です。 ダークラム 基本バーボン樽などで3年以上熟成したラム。 バーボン以外にもやコニャック、ーなど様々あります。 深い樽の香りや芳醇な味わいが特徴です。 の「ブルガル」は親会社がを持つリントングループということもあり、の熟成ノウハウを周到しています。 リンク 産地ごとの違い ラムの主要な生産地である西アフリカ、カリブの島々はフランス、スペイン、イギリスの植民地だった歴史があります。 どこの植民地だったかによって蒸留方法が異なり、味わいも変わってくるので自分好みのラムを探すときにヒントになるかと思います。 イギリス系ラム Rum 骨太で濃い味わいが特徴。 スコッチの蒸留技術だけでなく、技術も周到しています。 そのため単式蒸留機と連続式蒸留機で造られた原酒を使い、製品に合ったが行われることが多いです。 商品グレードが高いほど単式蒸留で造られた原酒の比率が多いそうです。 特に主な生産地はジャマと。 ジャマのアントは21年熟成のものが2019年TWSCで最高金賞を受賞したり、のエルドラドは多くに人に指示されていたりと高評価なものが多いように感じます。 イギリス系ラムはしっかりした骨格がありながら、口当たりがマイルドでラバーに人気です。 アン アンは全体的に香りが豊かなのが特徴。 かなりの味わいのものが多いです.

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ver5.2環境 雑に考える海冥主メイヴⅤ道具使い準備編

海までいこう

突然ですが、皆さんは「」についてどのようなイメージをお持ちですか?? 南米の陽気な感じ。 海賊や海軍、船乗りなど海の男のイメージ。 など少し明るいイメージがあるのではないでしょうか。 しかし その背景には とんでもなく壮絶で残酷な歴史があることはご存じですか?? そこで今回はラムの壮絶な歴史から解説していき、ラムの製法・種類なども見ていこうと思います!!• ラムを見ていくために必要な砂糖の歴史 もともと ラムは砂糖の副産物として生み出された。 ラムの歴史を知るためには、まず砂糖の歴史から見ていこうと思います 製糖技術の広がり インドから、教徒によりサトウキビの栽培方法や製糖技術は伝播されました。 そして十字軍の遠征をきっかけとしてヨーロッパへと広まっていきます。 その後地中海でサトウキビの栽培と製糖業が開始したが、 地中海域はサトウキビの育成に必要な降雨量と日照時間が足りません。 つまり 砂糖の大量生産ができなかったのです。 15世紀になり、の発明などにより航海術が向上、 へと突入します。 はじめにの航海士が、アフリカ西岸のマディラ諸島に入植。 一大サトウキビのを建設し成功。 それに続き スペインも、に同様の砂糖を築き、成功します。 の新大陸発見 の船乗りは、地球球体説を信じ、大西洋縦断を計画。 大陸のはるか東にある 希少なスパイス類が豊富なインドや 黄金境として知られていた日本、中国へは大西洋を西へ進めばたどり着けるだろうと考えていました。 大波に揺られながら61日間の航海の末、諸島のグアナハニ島(現ワトリング島)に到着、 サン・サルバドル(聖救世主)と名付けます。 その後、や(現ハイチと)にも上陸。 彼はについたとき、 島ではなく中国大陸の一端だと思い込んでしまったといわれています。 は2回目の航海の時に産のサトウキビの苗をパニョーラ等へ運び移植しました。 今でこそ南米はサトウキビのイメージが強いですが、 がサトウキビを持ち込むまでカリブ及び、には1本たりともサトウキビは存在しなかったそうです。 サトウキビ以外にもヨーロッパから小麦、コーヒー、オレンジなど様々なものが新大陸に持ち込まれます。 反対に新大陸からたばこ、トマト、トウガラシ、ジャガイモ、カボチャなどがヨーロッパに持ち込まれました。 ただ当時のトマトやトウガラシ、ジャガイモは観賞用。 ヨーロッパでは毒があると信じられていました。 は新大陸を発見し、多くの文化に影響・貢献したものの、カ大陸は1499年に到達したゴ・ヴェスプッチに由来するカとされることになります。 世界史の教科書には必ず出てくる偉人ですが、 生前に認められることはなかったそうです。 の葬儀には彼の弟と息子たちだけだったといわれています。 世界に功績が認められたのがは、彼が死んでから400年以上経ってからでした。 ちなみに人気漫画「ワンピース」の・ノーランド(嘘つきノーランド)はがモデルでは?という考察もあるようです。 トリデシリャス条約 新大陸発見からとスペインの領土争いは激しさを増していました。 世界的に深刻な問題となったために 時のアレクサンデル6世は領土のざっくりとした統括を目的としてトリデシリャス条約を発令します。 発見された新大陸のうち赤い線の西側の陸地はスペインのもの、東側の陸地はのものと勝手に土地を分けてしまいます。 争いを見ていてめんどくさくなったが 「ここから西がスペイン!!東が!!ハイ終わり!!」ってつけたような条約だと思います。 (個人的な見方です。 ) かなり雑ですよね。。。 はブラジルの一部を除いて、すべてスペイン領となりました。 現在でも の国の中でブラジルだけなのはこの条約があったからだといわれています。 これにより、 イギリスやフランスなどはこの領土争いに参入できなくなります。 何の相談もなくの一存で定められた条約に、ほかのヨーロッパ諸国から批判殺到です。 (この条約の一番の被害者はやアフリカ、東南アジアなどの地域ですが……。 ) とともにラムが誕生 トリデシリャス条約のためイギリスやフランスなどは、指をくわえて待つしかできなかったというわけではなかったようです。 そこでイギリスやフランスは、 金銀財宝を積んだスペイン船団を襲撃することから活動し始めます。 つまり海賊です。 当時はイギリスやフランスが海賊たちに根回して、スペインやの船団を襲わせていたといわれています。 彼らはスペイン船団やスペインの植民地を次々と襲い略奪していきました。 1588年 でついにスペインのが撃破。 その後スペインは全体の支配権を失うこととなります。 するとイギリスやフランスはの島々から侵略し始めます。 の島々は金銀があまり取れないそう。 スペイン船団が 先住民を金銀の採れる地域へ奴隷として連れてったり、虐殺してしまったりしたため過疎化していました。 そのためイギリスやフランスは簡単に植民地化できたそう。 それ以外にも 諸国の先住民は、ヨーロッパやアフリカから持ち込まれた疫病によって多くの人がなくなったというのも過疎化の原因です。 もともとイギリスやフランスは、 砂糖の大量生産が植民地化の目的でした。 占領した地域をどんどんサトウキビ畑に変えていきます。 大規模なを作るためには、 多大な労働力が必要。 アフリカから大量の奴隷が連れてこられ、カリブの島々ので働かされることになります。 つまり です。 で造られた砂糖がヨーロッパに運ばれます。 ヨーロッパにつくと、 砂糖と奴隷の確保のための最新武器を交換してアフリカに運ばれていきます。 そして武器を使って 捕まえた奴隷を連れてまたカリブの国々に運ぶという が出来上がりました。 でヨーロッパは莫大な利益を上げました。 その一方で、 カリブと西アフリカは、人的資源やもともとの文化を根こそぎ奪われ、現在まで政情不和や経済的な偏りによる貧困が続いています。 により大規模なができ、砂糖が大量に作られるようになりました。 そして 砂糖の副産物として結晶化しない甘いシロップ(モラセス)が大量にできます。 多くのでこのモラセスを発酵、蒸留しラムを作るようになりました。 当時のラムはヨーロッパ人にとっての嗜好品ではなかったため、かなり雑味が強く荒々しい酒だったといわれています。 これは奴隷たちに命令を聞かせるアメとして配っていたそうです。 「経営の上手いはラムをうまく使いこなしている」と白人経営者の中で広まっていきます。 船乗りとラム 奴隷のアメとムチのアメとして短期間で広まったラム。 しかしいつしか ラムがに効く特効薬と船乗りたちに信じられるようになっていきます。 とは… ビタミンC欠乏症による出血性の症状。 最悪の場合、気です。 当時大西洋を横断していた船乗りたちの間で蔓延し、恐れられていました。 ところがラムを飲んでいた船の乗組員たちは全くにならなかったのです。 船乗りたちは荒々しい当時のラムを、ライムジュースと砂糖で割って飲んでいたといわれています。 この ライムジュースが、に効いていたのです。 しかしずっとラムが特効薬だと信じられていました。 1731年、イギリスは海軍全員にラムを支給する規則を設けます。 この海軍のイメージが色濃く残っているのが、「パッサーズラム」です。 この支給は1970年7月30日イギリスでラムの支給廃止の日(ブラック・・デイ)まで続きました。 ラムは船乗りに欠かせない飲み物となります。 商船や海賊船、海軍などすべての船、そして港街の酒場などにも置かれるようになっていきます。 ラムが嗜好品に!! 奴隷のアメや船乗りの特効薬として広まっていたラムでしたが、1693年大きな機転が訪れます。 に修道士ジャン・バチスト・ラバが訪れます。 彼は修道僧だけでなく、美食家としての有名でした。 ラムも蒸留をちゃんとやればうまくなるのでは?と思い、 コニャックと同じ製法で造ってみることにします。 フランス本土からコニャックの蒸留機を持ち込み、コニャックと同じに丁寧に蒸留を行いました。 結果、現在のラムに近い高品質なお酒となります。 そして砂糖とともに 第1級の貿易商品として輸出されることとなります。 これに倣って イギリス植民地にはスコッチの技術、 スペイン植民地ではーやーブランデーの技術が持ち込まれます。 ここから、フランス系ラム、イギリス系ラム、スペイン系ラムという特徴が生まれました。 (ここを早く知りたい人は) 度の廃止 1776年、カ独立宣言。 1789年から始まるなどが影響して、 ヨーロッパで黒人の流れができ始めます。 1804年には世界初の黒人共和国としてハイチがフランスから独立。 これによりハイチで砂糖のを築いていた白人経営者たちは、に亡命します。 そしてハイチに変わって が世界一の砂糖生産国に。 (結局場所が変わっただけで同じ農場を作ります。 ) にイギリス、1848年にはフランスがを廃止します。 黒人奴隷が解放されるとカリブやの砂糖は深刻な労働力不足に陥ります。 すると今度は 中近東や東南アジアから大量の奴隷が連れてこられるようになりました。 カリブ諸国はより多種多様の文化入り乱れることになります。 サトウキビじゃない新しい砂糖の誕生 18世紀寒冷地でも栽培できる甜菜からサトウキビと同じような甘味成分が取れることが発見されます。 1786年にはが完成。 同時に精白糖の製造に成功します。 するとクセの少ない精白糖が人気になっていきます。 また1806年にフランスの大陸封鎖を配布。 フランスは自国の植民地などからの砂糖もストップします。 その打開策としてフランス国内で甜菜の栽培を進めるようになりました。 やなどでは 砂糖の不良在庫が増えます。 反対にラムの人気はどんどん高くなっため、副材料だったモラセスが不足に! 「ラム用のモラセスを作るために砂糖を作る」という今までと逆の状態となります。 そしてまた砂糖の不良在庫が生まれて 、砂糖の価格はさらに下落。 多くの製糖工場が倒産していきました。 ラム業者はこの対策としてサトウキビジュースをそのまま発酵し、ラムを作るようになります。 これが 「アグリコールラム」の誕生です。 とラム 19世紀後半からでラムづくりが本格化します。 カでが施行されると 多くのカ人がを訪れて観光地として栄えました。 この時、をはじめ多くのラム蒸留所は急成長! が廃止されるとカへの輸出でさらに規模を拡大していきます。 1959年が起きると政府から土地と財産の没収を免れるため、 のような大手はなどに亡命します。 そして亡命先で今までと同じようにラムを作り始めます。 やもと同じようにライトでスムースなタイプのラムが造られるようになりました。 ラムの 産ラムがフランス本土のを取得すると、各地でラ ムの品質保証の流れができます。 「アグリコールラム」に続き、「ハイモラセスラム」の確立やの大手ズメーカーの参入など、今現在ラムがどんどん発展してきています。 実際でもラムが最近人気になっているような気がします。 リンク の分類 作り方による違い 現在ラムには3タイプの作り方があります。 トラディショナル ジュースのうち結晶化するものが砂糖となりますが、結晶化しない(モラセス)という副産物が出来上がります。 伝統的なラムではこのを発酵、蒸留させてラムを作ります。 9割のラムがこの製法です。 もともとラムが砂糖の副産物であったことからこれが伝統的な製法でした。 アグリコール 砂糖よりラムの需要が高くなった時に開発された製法です。 サトウキビを絞った100%サトウキビジュースにを加えて発酵させ、蒸留しラムを作ります。 19世紀にフランスの植民地で確立した方法でフランス海外県の、、、レユニオンでよく行われる方法です。 ただ サトウキビの収穫時期にしかこの製法のラムを作ることができません。 ハイテストモラセス トラディショナルとアグリコールのハイブリット的な製法です。 ジュースを腐りにくい糖度まで煮詰めてから保管。 ラムを作るときに加水して発酵、蒸留を行う方法です。 ジュース100%の風味や味わいをあまり失うことなく、と同じように冷蔵保存できるため1年中ラムが製造できます。 この方法は「ロン・サカパ」が有名です。 ロン・サカパ ロン・サカパは 「雲の上で熟成されたラム」として有名。 ジュース100%の1番絞りを濃縮した蜜( 「バージン・シュガーケイン・ハニー」と呼ばれています。 )を使った甘く芳醇な味わいとパイナップルから採取したによる甘美なアロマが特徴的です。 リンク 熟成方法、熟成期間の違い ホワイトラム 基本的に熟成をしていない無色透明なラム。 ラムのほとんどがホワイトラムとして楽しまれています。 クリアで軽い味わいなのでカクテルベースに向きです。 またアグリコールのホワイトラムでは、 サトウキビ本来のアロマやフレーバーを楽しめるのでストレートやロックもおすすめです。 樽も内側を焦がしていない大樽かバーボンの空き樽を使うことが多いです。 そこからラムの樽熟成が始まったといわれています。 ホワイトラムのフレッシュさも残しつつまろやかな味わいが特徴です。 ダークラム 基本バーボン樽などで3年以上熟成したラム。 バーボン以外にもやコニャック、ーなど様々あります。 深い樽の香りや芳醇な味わいが特徴です。 の「ブルガル」は親会社がを持つリントングループということもあり、の熟成ノウハウを周到しています。 リンク 産地ごとの違い ラムの主要な生産地である西アフリカ、カリブの島々はフランス、スペイン、イギリスの植民地だった歴史があります。 どこの植民地だったかによって蒸留方法が異なり、味わいも変わってくるので自分好みのラムを探すときにヒントになるかと思います。 イギリス系ラム Rum 骨太で濃い味わいが特徴。 スコッチの蒸留技術だけでなく、技術も周到しています。 そのため単式蒸留機と連続式蒸留機で造られた原酒を使い、製品に合ったが行われることが多いです。 商品グレードが高いほど単式蒸留で造られた原酒の比率が多いそうです。 特に主な生産地はジャマと。 ジャマのアントは21年熟成のものが2019年TWSCで最高金賞を受賞したり、のエルドラドは多くに人に指示されていたりと高評価なものが多いように感じます。 イギリス系ラムはしっかりした骨格がありながら、口当たりがマイルドでラバーに人気です。 アン アンは全体的に香りが豊かなのが特徴。 かなりの味わいのものが多いです.

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海の目へいこう

海までいこう

少々、お休みを頂いております。 実は、水槽の中の海ぶどうくんたちに、問題が発生したわけではないの ですが、とても近くで害虫問題が発生し、殺虫剤などを使ってしまったり したのです。 ちょっと、食べ物としては・・・微妙でしょ(^^;)? ・・・なので、今回の海ぶどうくんたちは、第1弾を終了することにいたしました。 水槽や照明などなど、せっかくそろえたしね。 次に始めるときは、ヒーターを用意して、暖かい水で育ててあげようと思います。 023くらいになっていたので、水を1L足して1. 021くらいに調整しました。 さて、ここのところ毎日言ってるけど・・・。 クーラーが必要なくなったので、水がほとんど蒸発しなくなりました。 水の量も心配ないし、濃度も心配ないので、ちょっと気が楽です。 あとは、どのくらいになったら、ヒーターが必要か・・・というところ。 近いうちに準備はしておいたほうがいいかもしれない。 10月3日 やっぱり、夏とは違うよね。 気温も光も。 沖縄の日光は、10月でも海に入れるくらいだもの。 今日の水温は28度くらいまで上がってる。 クーラーはもう卒業なのかもしれない。 海水は問題なさそうなので、今日はそのまま。 021ちょっとというところ。 観察していた、場所たちの成長は、少しだけどぶどうが増えてる。 でもさ、もっとたわわについて欲しいよね。 いくら水槽だからって・・・もうちょっとがんばって欲しいなぁ。 とはいうものの、環境を整えてあげるのは、こっちの責任なわけだから。 とりあえず、来週はLEDライトを増やしてあげられるといいなと思っているところです。 まぁ、他の2箇所のほうが見やすいから、こっちを続けていくことにします。

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